瞑想は難しいもの
瞑想って修行みたい
瞑想が簡単か、難しいかと聞かれたら「難しい」方になるかもしれません。
コツがわかればそう難しくはないと思えるのですが、常に目まぐるしく頭を使い、雑念も含め様々なことを考え続けているわけですから瞑想状態になるのは、最初はとても難しく感じます。
私は20代の頃ヨガを習い、その時の先生に瞑想も教わりました。
瞑想を習う時間は静かで神秘的で大好きでしたが、余計なことばかり頭をよぎり、考えないようにしようとすればするほど無にはなれませんでした。
週に1回1時間ほど瞑想を教わりましたが、私が瞑想ができるようになったのは3ヶ月以上が過ぎてからでした。
初めて瞑想状態になった時、私の周囲は金色に光り、女性が現れ私の前に立ち、私の頭に手を置きました。
その瞬間、感動のあまり涙が滝のように流れました。
あの日のことは今でも鮮明に思い出され、感動が褪せることなく蘇ってきます。
瞑想とは不思議なものです。
私のように人が現れることもあるでしょうし、いろんな場所や状況、未来のこと、亡くなった人が現れたり、メッセージを送ってくることもあるでしょう。
何かを無理に見たり感じたりしようとしなくても良いのです。
流れに逆らわず、そのままの状態で、体の力を抜いていれば。
早く習得したいと焦ったり、マニュアルのように方法を理屈で考えたりすることは、できるだけ避けなければいけません。
「力を抜いてリラックスする」ということが現代人にとっていかに難しいことかがわかりますね。
瞑想をすると大きな変化が
瞑想で人生が変わるかも…
瞑想を始めようと思うきっかけって、「今の自分から変わりたい」という気持ちがあるからだと思います。
成長したいという前向きな気持ちがあるからこそ。
悩みや苦しみを軽くして楽になりたいということもあるかもしれませんし、波動を上げて運を良くしたいということがきっかけかもしれません。
どんな理由であったとしても、自分を高めたいとか精神的にすっきりしたいという気持ちが大きいということですね。
そんな気持ちを持ち続けていられるなら、瞑想をすることで大きく自分を高めることができます。
仕事で成功したい、今までより能力を発揮したい、チャンスや運を引き寄せたいという願いも叶うのです。
始めたらわかる。目に見える変化が現れるから。
私が瞑想やヨガを始めたのは、知人にすすめられたからです。
当時私はいろんなつらい出来事があって、東京から地元である札幌に帰ってきていましたが、毎日ふさぎ込んで泣いてばかり…
何もせず部屋にこもったままで、朝目が覚めて自分が息をしていることさえつらくてしんどくて。
楽になりたい、涙を止めたいとそんなことばかり思っていました。
そのタイミングで知人がヨガサークルを紹介してくれて、私は少しは気持ちが救われるかもしれないと、そう思って始めたことでした。
はじめは何もかもうまくできないし、出かけていくことが面倒くさいと感じていました。
でも私はとても良い先生に出会えたので、回を重ねる毎に自分の変化に気づかされました。
ヨガをして帰り道は体が軽くてすっきりして気持ちよく、悩みの種だったひどい肩こりも嘘のように楽で。
まずは自分の体の変化に驚かされ…
それから先生の好意で瞑想を教わり、できるまで時間はかかりましたが、でもそこに辿り着くまでの間だってちゃんと心の変化は起こっていたのです。
あれほど泣いてばかりで、本当に何をしてもいつも涙が流れて、疲れきっていた私が、ヨガに通うことが楽しみになり、気持ちが穏やかになって泣くことも少なくなりました。
そして瞑想を始め「今日もうまくいかない。またダメか…」と思っていた、その後に現実の場所から離れた!と感じた瞬間に、別の世界を見ることになりました。
私の人生観を変える出来事でした。
呼吸を整え、精神を集中して瞑想すると、広く豊かな、とにかく幸福に包まれた穏やかな気持ちになれます。
余計なことを考えず、自分にとって最高の選択ができるようになります。
ひらめきや正しい答えがわかり、間違った方向には進まないようになります。
それは導かれているかのようにです。
チャンスがやってきたり、運が良くなるということも起こります。
この大きな変化はぜひ経験してほしいと思います。
先生との別れ
不思議なことばかり起こるようになるよ
瞑想ができて、私が違う世界を見て滝のような涙を流しているのを見た先生が、帰り際に「よかったね」と優しく声をかけてくれました。
ただ、実は先生は日本人ではないので、いつも会話は通訳の方を介してでしたが。
心から信頼していた先生はそれからしばらくして、突然「インドに帰るから」とサークルは終了となってしまいました。
最後の日先生は、「自分はいなくなるけれど、弟子がいるから続けるのならそこに行ったらいいよ」と、お弟子さんの名前と電話番号を書いたメモを渡してくれました。
その時は必ずそこへ行こうと思っていました。
でも不思議なことに、先生とのお別れのあと私は、大きな出会いとチャンスが訪れて新しい世界で仕事を始めることになります。
先生から教わることがひとまず終わって、私はまるでそこから卒業したかのように次のステージに進んだのです。
なかなか先生のお弟子さんのところには行く機会がないまま月日は流れ…
でも何年間もそのメモは大切に保管していました。宝物のように大切にしまっていました。
ところが、いつものように定期的にメモがあるかの確認をしていたら、メモがなくなっていたのです。
何日も必死でメモを探しました。でも大切に保管していたから、どこかに落ちているとか置きっぱなしになるわけなどないのです。
探しても探しても見つからず、もうあきらめるしかありませんでした。
きっと「私がそこに行く必要がないから」と受け止めることにしました。
ヨガや瞑想を習っていた頃から、もう30年近くが経っています。
当時はヨガや瞑想は怪しいものだと思われ、洗脳されると危険視さえされていた。
そんな時代でした。
でも私はご縁があって先生から大切なことを教わりました。
30年が過ぎた今でも、私を癒し救ってくれ、成長させてくれる瞑想はかけがえのない財産です。
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